フランスの知識・歴史

ピエ・ノワールとは?アルジェリア系フランス人たちの苦労、歴史について




こんにちは、ペロンです。

 

会社で、とあるアルジェリア系フランス人のインターン生にあったことがあります。

「アルジェリアには白人系の人がいっぱいいる。僕の家族はピエ・ノワールでね、うんぬん…」と話をしていました。

アルジェリアの歴史に詳しくない私は、「ピエ・ノワールとは…?はて?」と思い、何の話をしているのか全然わかりませんでした。

調べてみると、ピエ・ノワールとは、フランス語でPieds-noirs、「黒い足」という意味で、元フランス植民地だったアルジェリアと深く関係しています。

ピエ・ノワール(Pieds-noirs)とは、1830年6月18日のフランス侵攻から、1962年のアルジェリア戦争終結に伴うアルジェリア独立までのフランス領アルジェリアに居たヨーロッパ系(フランス、スペイン、イタリア、マルタ、ユダヤ系)植民者。
また、アルジェリアだけでなくモロッコ、チュニジアを加えたマグレブ諸国のヨーロッパ系住民を含める場合もある。独立時点までのピエ・ノワールの人口は約100万人だと推される。

1962年のアルジェリア独立により多くは母国に帰国したが、フランス本国で差別的な扱いを受けている。

アルジェリアのユダヤ系住民で、同様にフランス国民として引き揚げてきた者も含むことがある。

ピエ・ノワールとは黒い足を意味する。
フランス人の入植者が、先住民と、黒い靴を履いていることで区別されたことが由来と言われる。
(中略)
その他、北アフリカ植民地政策初期に入植してきた多くのヨーロッパ人は軍人だったため一様に黒靴を履いており、靴を脱いだ彼らの足は靴墨で黒ずんでいたなど、多くの説がありどれが有力かは不明。

(参照URL:ピエ・ノワール ウィキペディア

色々調べていると…

ピエ・ノワールはアルジェリアとフランスの歴史に大きく関わりがあることがわかりました。

 

あまり日本人には知られていない(?)ピエ・ノワール。

ピエ・ノワールにまつわる、フランスとアルジェリアの歴史を、簡単にまとめました。




植民地時代

アルジェリアがフランスの植民地になったとき

アルジェリアは1830年、フランスに侵略されます。

この時代、フランス国内ではフランス革命が起こり、ナポレオン・ボナパルトが政権を握っていた頃。

新たな植民地支配時代で国際的に優位に立ちたかったフランスは、アルジェリアはフランスの重要植民地として位置づけました。

フランスがアルジェリアを侵略した理由は、近代化に向けて必要不可欠な資源が豊富だったからです。

フランスのあらゆる工業は、アルジェリアの豊富な資源を糧に発展していきました。

 

植民地の支配体制の強化

アルジェリアにはフランスから次々と白人が到着します。

ここではアルジェリアに移住した人たちはフランス人だけではなく、スペインやイタリア系の人も多かったんだとか。

ヨーロッパ系白人、ということですね。

このように送り込まれた人たちはコロンと呼ばれ、後にこの子孫がピエ・ノワールと呼ばれることになります。

このコロンたちに、フランス本国のフランス人と同等の権利と地位与え、植民地支配体制を築いていきます。

 

フランスにとって必要不可欠な領土、アルジェリア

フランスの植民地支配は100年以上続きました。

アルジェリアに渡った、ヨーロッパ系移民・コロンも100万人以上に達していたとか。

100年もフランスの植民地であり続けると、人によっては植民地と捉えずに「フランスの一部」と捉える人もいたそうです。

フランスの重大な領土の一部になっていたのですね。

 

このように重大な領土の一部となっていたアルジェリアで、経済を発展させたコロン。

フランス本国にも大きく影響する、一大勢力になっていました。

 

植民地時代のアルジェリア人

コロンはアルジェリア人から土地を奪い、豊富な資源の採掘、ワインを作るためのブドウ畑作りました。

多くの人たちが失業し、やむなくフランス本国や他のヨーロッパの国に渡ったそうです。

 

また、アルジェリア人たちには市民権を与えませんでした。

コロンのアルジェリア人に対する差別はひどかったようで、社会は完全にコロン(=支配層)と、アルジェリア人(=搾取される側)に分かれていました。

こんな酷い待遇だったにも関わらず、フランスの領土の一部として、フランス軍の兵士として戦わされたそうです…

 




アルジェリアの独立

アルジェリアの独立への機運が高まる

第二次世界大戦が終わると、世界中のあらゆる植民地で独立運動が始まりました。

フランスの植民地支配が100年以上経っていたとしても、やっぱりアルジェリアも元々は独立した一つの国。

アルジェリアも例外ではなく、フランスから独立しよう!という動きがでてきます。

 

フランスの植民地として、フランス本国の発展に多大に貢献してきたアルジェリア。

なのにアルジェリア人は散々差別され、コロンには搾取され、アルジェリア人には未だに市民権さえ与えられないという待遇でした。

世界の風潮の後押しもあり、アルジェリア人は「もう我慢も限界!」という状態に…

 

独立戦争の始まり

そんな状態だった1954年、ついに武力衝突が始まります。

アルジェリア民族解放戦線はゲリラ戦を繰り広げ、フランスは「絶対にアルジェリアの独立は認めない!」と言わんばかり、徹底的に弾圧しました。

 

実は同じ頃、同じくフランスの植民地だったチュニジアとモロッコにも独立運動が高まり、1956年に独立を認めています。

でもフランスはアルジェリアを決して簡単に手放しませんでした。

そのくらい、本国フランスへ大きく影響を与えている、超重要な植民地だったのですね。

 

一部のアルジェリア人も、フランス側について、フランスのために戦い、彼らはアルキと呼ばれました。

独立戦争はどんどん泥沼化していきます。

 

フランス軍のクーデター発生

どんどん泥沼化していく独立戦争を見て、フランスの国内では「もう独立を認めよう」という人たちと、「絶対アルジェリアはフランスのものだ!」という人たちと、二極化していきます。

当時のフランス本国の政府は両者の板ばさみに…

そんなフランス本国がどっちつかずの態度は、独立戦争の最前線で命がけで戦うフランス軍人たちに苛立たせました。

そしてついに、「弱腰のフランス本国の政権を奪ってやる!」と、フランス軍がフランス本国に反旗を翻し、クーデターを起こしてしまいます。

 

これまでは、単純にアルジェリア人とフランス人の戦いでした。

しかし、これに加えて独立を認めるフランス人と独立を認めない強硬派フランス人の戦いも加わる事になってしまいます。

また、このクーデターを、アルジェリアで支配層として君臨していたコロンも支持します。

 

まとめると…

アルジェリア人

VS

フランス人

コロン

アルキ

の戦争が、

アルジェリア人

独立を認めるフランス人

VS

独立を認めないフランス人

コロン

アルキ

の戦いに。

 

アルジェリア独立戦争はフランス人の同士の戦いに転じてしまったのです…

 

シャルル・ド・ゴールの登場

クーデターを起こしたフランス軍は、まずコルシカ島を占領しました。

そして、第二次世界大戦で大活躍した、シャルル・ド・ゴールをリーダーにします。

いまや空港の名前や、凱旋門近くの駅の名前になっている人で、フランスの英雄なのですね。

後に大統領にもなった人なのですが、彼は保守派だったのです。

 

クーデターを起こしたフランス軍としては、保守派のシャルル・ド・ゴールがアルジェリア独立運動を厳しく弾圧してくれるだろうと思っていました。




植民地時代の終了

アルジェリアの独立

フランス軍の期待とは裏腹に、なんとシャルル・ド・ゴールは、あっさりとアルジェリアの独立を認めてしまいます。

その理由として、世界的な植民地の独立運動が高まり、フランス国内でも「もう戦争はやめようよ」という雰囲気になっていたからです。

また、国土の占領し支配するよりも、経済的においしいところを支配したほうが世間体は良い、という理由もあったのだとか。

 

1962年、約14万人の死者を出し、ついにアルジェリアの独立戦争は終わりました。

また、これはアルジェリアはついに独立を掴み取り、132年続いた植民地時代が終わったことを意味していました。

 

アルジェリア人とコロンの行き先

アルジェリアに移住し、100万人以上になっていたコロンたちは、最大の選択を迫られます。

それは、アルジェリアに住み続けるか、フランス本国に「外国人」として移住するか。

 

アルジェリア人を散々差別し、搾取し、市民権も与えず支配してきたコロン。

今更そんなに急に、「明日からお友達ね!」と仲良くできるかというと…難しいですよね。

それが理由で、多くのコロンがアルジェリアを後にし、フランスへ移住します。

でもそもそも、130年も前からアルジェリアを支配してきた人たちなので、正直フランス本国に居場所など無いのです。

アルジェリアで支配層として君臨してきたコロンたちは、フランスにやってきても、「ピエ・ノワール」と呼ばれ、差別されることになりました。

 

また、フランスのために戦ったアルキたち…

独立戦争が終わった後、アルジェリアではただの裏切り者です。

一部はフランスへ逃げましたが、フランスのために戦ったのに居場所がない。

多くのアルキはアルジェリアで殺されてしまいました。




ピエ・ノワールの苦労

今までアルジェリアで支配層として君臨していたコロンは、フランスで一転、ピエ・ノワールと呼ばれ差別の対象に…

それでもフランスで生きていくしかなかった彼らが、何とか生き抜いて子供たちを育て上げたのですね。

そのうちの一人が、私が会社で出会ったインターンの男の子だったんだと。

 

フランスは格差が激しい社会で、またその格差もすごく固定されている社会です。

日本にももちろん、世界中どこの社会にも格差や階級社会はもちろんあります。

でも、フランスは日本のように「何とか、良い大学さえいければ、人生逆転もありえる」という社会ではないのです。

そのような環境で、強烈に差別されながらも「何とか子供だけは出世させたい」と頑張ってきたのは、並大抵の努力ではない、と思いました…

 

ピエ・ノワールとして知られる有名人もたくさんいます。

彼らの歴史がまとめられた本はこちらです。

アルジェリア戦争をテーマにした映画はこちら。

この歴史が気になった方はぜひ!




正直日本に居たときは、ピエ・ノワールの存在を知らなかったし、「アルジェリアがフランスから独立した」ぐらいしか知りませんでした。

フランスは、フランス人と一言に言っても、色んなルーツを持っている人たちがたくさんいます。

フランスに移住して、語学も大事だけど、その国の歴史を知る事が大事だなぁと、いつも思います。

今、フランスがどうしてこういう社会なのか理解が深められるからです。

 

今回もアルジェリアとフランスの歴史を知り、またフランスへの理解が深められた気がします!

 

 

ペロン
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